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「私が我慢すればいいんだから」?

更新日:2020年5月14日

 設計打合せの途中で、家族間の意見がぶつかった時、「私が我慢すれば良いのだから」と、簡単に諦めてしまう人がいます。家族のためを思っての、さらには設計士の頭を悩ませては申し訳ないとの善意が言葉に出るのだと思います。しかし、住宅の計画におけるこの一見優しい譲歩は、やがて「私」だけでなく、「家族全員」に我慢を強いることになりかねません。


 住宅は1年365日、ほとんど一生を暮らす所です。一時的な我慢なら何とかなったとしても、10年、20年、あるいは死ぬまで続く我慢となると、どんな聖人君主でもキビシイことでしょう。

 私達人間には、暑さ寒さなど、自然的環境の我慢には、ある程度の適応力があるようです。しかし「人間関係」や「使い勝手」等の社会的環境の我慢は、適応が難しい場合が多いようです。


 自分や家族の暮らしに合わない家。家族の想いを何もわかってくれない家。日々の生活の中、逃げ場のないストレスから、自分を責めたり、夫(妻)や子供、同居の親を攻撃したり。やがて体や心の健康が蝕まれ、病気や家庭不和になった場合には、家族みんなが苦しむことになってしまいます。


 住宅は家族にとって「最後の砦」。ここで安心と安全が確保できなければ、後がありません。遠慮せず、あきらめず、誰も我慢しなくて済むように。むしろ「してやったり!」と思える家を、粘り強く計画しましょう。

 新しい住まいが、日々の暮らしの中で暖かく家族を守り、いざという時にも自分の味方になってくれますように。

                 中島桂一著 「家づくりの 本当はどうなの?」より

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